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このこと

 今月の指導者向け国語学習会が、先週25日(金)にありました。
 
 この春、合同研究会でお話をしてくださった岩崎京子先生の『かさこじぞう』の教材化について、
数教研の先生方と話し合いました。

 

 数教研の読み方教材の設問は、問題集やテストのように、わかったかどうかを確認するとか、
そのことで子どもたちを選別するとか、そういう目的のためのものではありません。
主役はあくまでも、本文、物語。設問は脇役。設問は、文章を読んでいくための、物語の世界を
深く豊かにイメージするための手助け、手掛かりになるようなものだと考えています。
 
 

 ただ、この設問作り、実際にやってみるとなかなか難しい。誘導尋問的になったり、理屈の
押し付け、解釈の決め付け、道徳教育のようになってしまったり。
 
 とくに、今回、数教研の先生方と話し合ってみて、同じことばからも、そのイメージは人によって
さまざまなんだなぁということに改めて気づかされました。設問を作ったわたしとしては、わたし
自身のイメージの中で、そのイメージ化を助けるためには、どんな設問がいいのかなぁと考えて
いたのですが、思い込みはいけないですね。
  
 もちろん、個々人が物語を読むときは、それぞれの自由なイメージの中で楽しむものであって、
人と違っていいのでしょうが、設問を作る人間が、ただ一つのイメージ、解釈で、突き進んでは
いけないのだと知らされました。設問を作るというのは、その作り手の考え、姿勢が見えてくる
ものなんですね。

 

 でも、数教研の良いところは、一人ではないということ。数教研の先生方の経験や意見も
十分に反映されて、良いものを作っていける。顧問の鈴木康之先生も、「言語学研究の集団
主義」を掲げ、「ひとりで研究をやったって限度がある。ともかくみんなでもって言語学をやって
いこうという言語学研究の集団主義。」とおっしゃっている、それと同じだなぁと思いました。

 

 ご参加くださった先生方の声(SNSエデュパラ内の日記にいただいた感想です)
 
 女性 楽しかったです。あのお話を材料に盛り上がりましたね。一つのお話でも、
    ひとそれぞれの持っている背景やその時の心情で、受け取りかたや心象風景は
    変わってくるのですね。文学作品のしたたかな(いい意味です)強さを感じました。
    道徳的な教訓ではなく、文学の持つ日本語の力強さを感じられるような、そんな教材に
    なるといいなぁと待っています。

 女性 語り言葉は対象の小学生ではない私達大人にとってもとても楽しく感じられました。
    幅の広い言葉の意味やいろいろな想像は聞いている人間の生活や文化を背景に
    違っていて個々の人を浮き立たせる力があるようです。

 

 今回のお話『かさこじぞう』は、とくに、昔のことば、方言のようなものがあって、今の子どもたち
には聞きなれないことばも多いのですが、今回はあえて、その注釈をいれないようにしました。
(最初の教材案では、ことばの意味の説明を並べていたのですが、それじゃあ、勉強勉強しすぎて、
物語を楽しむ余裕がないなぁと…) そのことについて、鈴木先生の今回のレジュメの中に
「語りでの単語の習得」という話がありました。(これは後日、鈴木研究室のホームページにアップ
したいなぁと思っています。)この話の中に、「かさこ」「もちこ」の例が載っていたのですが…

 

 (ここからはわたしの連想。学習会とは関係ありません)

 鈴木先生の説明では、この「…こ」は、愛称的な言い方であると。
「…こ」といえば、女の子の名前の「-子」。今時の女の子の名前としては流行らないようですが。
(わたしの「-美」も同じく…)
 
 名前に「-子」をつけるのは、女の子限定(平安時代から明治時代くらいまでは身分の高い
女性の名前だったよう)ですね。

 

 が、社会の時間に、初めて「小野妹子」「蘇我馬子」と出会ったときの衝撃ぎょ
ええ~っ!男なのぉ~!!と。 昔々は、男女の区別なくつかわれていた字なんですね。
でも、よく考えてみれば、中国では「孔子」「孟子」「老子」など、男性に対する尊称として使われて
いる字でもありますね。

 

 というわけで(むりやりといった感じですが)、今回の写真は、蘇我馬子の生きた飛鳥
(明日香村)の地。真っ赤な彼岸花がきれいな季節でした。一日、自転車で回った、わたしの
お鼻も真っ赤っか…

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かの岸

 今週の指導者向け英語学習会で、こんな話題(日本語について)を出してみました。

  ラジオから、トランプをつかったマジックショーのようすが流れてきました。
  マジシャンと観客Aが話をしています。つぎの会話から、だれのそばにトランプがあるのかを
  考えてみましょう。

   ① 観客A「これを めくってみてもいいですか。」
     →トランプのそばにいるのは[ マジシャン・観客A・二人以外の人 ]

   ② 観客A「それを めくってみてもいいですか。」
     →トランプのそばにいるのは[ マジシャン・観客A・二人以外の人 ]

   ③ 観客A「あれを めくってみてもいいですか。」
     →トランプのそばにいるのは[ マジシャン・観客A・二人以外の人 ]

   ④ マジシャン「これは、タネもしかけもないトランプです。」
     →トランプのそばにいるのは[ マジシャン・観客A・二人以外の人 ]

   ⑤ マジシャン「それは、タネもしかけもないトランプです。」
     →トランプのそばにいるのは[ マジシャン・観客A・二人以外の人 ]

   ⑥ マジシャン「あれは、タネもしかけもないトランプです。」
     →トランプのそばにいるのは[ マジシャン・観客A・二人以外の人 ]

  

 その映像が見えなくても、「これ」「それ」「あれ」ということばで、話し手と聞き手の、どちらの側の、
どの位置に、そのモノが存在するのかが、だいたい想像できるのではないでしょうか。

   

 話し手と聞き手が対面しているような場合、「これ」は話し手の領域、「それ」は聞き手の領域、
「あれ」は二人以外の領域にあることが想像できます。
 
   

 また、話し手と聞き手が並んで座っているような場合、その位置からの距離に応じて
「これ」「それ」「あれ」となりそうです。

 英語では、this=これ、that=あれ、 it=それと訳したりしますが、
 では、このように近いものから「これ」「それ」「あれ」と言って指すとき、英語ではthis・it・thatと
なるのでしょうか?

 …ということを話題にしてみました。さあ、どうでしょう?

 

 (今回は話し手からの位置ということだけに注目してみましたが、指示代名詞には、他にも
 いろいろなはたらきがあるようですね。こんどは、そんなことも話題にしてみたいなぁと思って
 います。)

 

 さて、「あの」に似た言い方に、「彼の(かの)」という言い方がありますね。
「彼岸」というのは、こっちの岸(この世)に対する、あっちの岸(あの世)ということでしょうか。

   

 お彼岸の時期に咲く彼岸花(曼珠沙華)は、わたしにとっては長い間、不吉なイメージのある
花でした。
 が、身近な人を見送ってからは、かの岸もきっといいところなんだろうなぁと思うようになりました。

  

 わたしが、彼岸花で思い出すお話に『ごんぎつね』があります。
兵十のお母さんが亡くなり、その葬列が行く道に彼岸花が咲いています。

 先日の新聞コラムにつぎのようなことばが載っていました。

   子どものころ、出口のない閉ざされた故郷がいやで「何でこんな所に生まれたんだろう」と
  理不尽に思っていたが、そこでは、「死んだら山に還る」と信じられており、「あの世とは、
  よかとこらしいじゃないか。行ったきり、ひとりも帰ってきたもんはおらん」とつぶやく老人も
  いた。        (朝日新聞 09.9.13 著者に会いたい 「父を葬(おく)る」 高山文彦)

 
 彼岸花は、そんな山に咲く花なのかもしれません。
『花さき山』という絵本を思い出された方も多いのではないでしょうか。
この岸の、やさしさで咲く花。

 

 今回の写真は、白の彼岸花を中心に。お彼岸前でしたが、見ごろということで行ってみました。
 昨年は、巾着田の真っ赤な彼岸花を見てきたのですが、
 今年は、真っ白な彼岸花が咲く常泉寺(神奈川県)です。

 ここは、花だけでなく、石仏があちこちにあって、花とともに楽しめます。

   黄色も

 今週は、名古屋を往復する新幹線の車窓から、田んぼのあぜ道に咲く、真っ赤な彼岸花を
見ました。秋の風景でもありますね。

 さあ、明日から秋の大型連休です。みなさんは、どんな秋の風景と出会うのでしょうか。

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虫愛づる姫君

 夏休みが終わりました。
わたしが子どものころは、セミとりに熱中しましたが、今は、くわがたを求めてデパートに?

 M教室のYちゃんは、夏の自由研究に、クモの研究をしたそうです。
虫愛づる姫君(堤中納言物語)かしら。
まあ、わたしだって、今は、キャ~ダッシュなんて、お上品なことを言っていますが、子どもの頃は、
あっちこっち、ちょっかいを出していました。


 数教研の読み方教材には、「ふしぎなくもの糸」(「新心にのこる3年生の読み物」学校図書)と
いうお話があります。
 それから、「小さいころのファーブル」(同上)も、子どもたちが学習する読み方教材の一つです。

 ファーブル昆虫記は、シートン動物記と並んで、我が家の本棚にもあったような。
教科書にも一部載っていたかしら。


 数教研の読み方教材は、そのファーブルの小さいころのお話です。

 数教研では、本文を読み進めるための手助けとして、設問を用意しています。
これは、問題を解くことが目的ではなく、本文にしっかりと目を向けてもらうためのきっかけ作り。

 その設問の中に、
 
 「ごつごつした石ころの道には、へいこうした。」とありますが、この「へいこうした」とは、
 どういうことですか。じてんでしらべて書きなさい。

 というものがあります。

 辞書で調べるだけなら、そんなに難しくないだろうと思われるかもしれませんが、それが、
なかなか難しい問題なのです。

 この本文では、「へいこう」は、ひらがな書きされています。

 辞書をひくと、【平行】【平衡】【並行】【閉口】(小学国語学習辞典/偕成社)と4つの「へいこう」
が出てきます。
 子どもたちの多くは、「先生、たくさんある! どれ書けばいいの?」と聞いてきます。
 でも、すぐには答えずに、「それぞれの意味をしっかりと読んで、それから本文を、前後の文も
含めてもう一度読んで、どの意味でつかわれているか、考えてごらん。」と言います。

 「ごつごつした石ころの」道で、同じ段落内には、いっしょに連れて行ったアヒルの子たちが、
歩きづらそうで、休み休み行ったとあります。

 でも、なかなか難しいのです。


 知らないことば、初めて出会ったことばであっても、前後の文脈から、こういうことかな?と、
予想する、想像する、そうやって、読んでいくということが少ないのかもしれません。


 セミとりをしていたとき、もちろん、ゲームの攻略本のようなものはありませんでした。どこに
行けばセミがいて、どんなふうに網を動かせば、逃げられずにつかまえることができるのか、
ときには、セミに○○ッ○をかけられながら、ひと夏をかけて、学んでいきました。

 すぐに答えを求めずに、ことばの世界を探求していってほしいと思います。

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