2009,09,28, Monday 06:57 PM
このこと
今月の指導者向け国語学習会が、先週25日(金)にありました。
この春、合同研究会でお話をしてくださった岩崎京子先生の『かさこじぞう』の教材化について、
数教研の先生方と話し合いました。

数教研の読み方教材の設問は、問題集やテストのように、わかったかどうかを確認するとか、
そのことで子どもたちを選別するとか、そういう目的のためのものではありません。
主役はあくまでも、本文、物語。設問は脇役。設問は、文章を読んでいくための、物語の世界を
深く豊かにイメージするための手助け、手掛かりになるようなものだと考えています。

ただ、この設問作り、実際にやってみるとなかなか難しい。誘導尋問的になったり、理屈の
押し付け、解釈の決め付け、道徳教育のようになってしまったり。
とくに、今回、数教研の先生方と話し合ってみて、同じことばからも、そのイメージは人によって
さまざまなんだなぁということに改めて気づかされました。設問を作ったわたしとしては、わたし
自身のイメージの中で、そのイメージ化を助けるためには、どんな設問がいいのかなぁと考えて
いたのですが、思い込みはいけないですね。
もちろん、個々人が物語を読むときは、それぞれの自由なイメージの中で楽しむものであって、
人と違っていいのでしょうが、設問を作る人間が、ただ一つのイメージ、解釈で、突き進んでは
いけないのだと知らされました。設問を作るというのは、その作り手の考え、姿勢が見えてくる
ものなんですね。

でも、数教研の良いところは、一人ではないということ。数教研の先生方の経験や意見も
十分に反映されて、良いものを作っていける。顧問の鈴木康之先生も、「言語学研究の集団
主義」を掲げ、「ひとりで研究をやったって限度がある。ともかくみんなでもって言語学をやって
いこうという言語学研究の集団主義。」とおっしゃっている、それと同じだなぁと思いました。

ご参加くださった先生方の声(SNSエデュパラ内の日記にいただいた感想です)
楽しかったです。あのお話を材料に盛り上がりましたね。一つのお話でも、
ひとそれぞれの持っている背景やその時の心情で、受け取りかたや心象風景は
変わってくるのですね。文学作品のしたたかな(いい意味です)強さを感じました。
道徳的な教訓ではなく、文学の持つ日本語の力強さを感じられるような、そんな教材に
なるといいなぁと待っています。
語り言葉は対象の小学生ではない私達大人にとってもとても楽しく感じられました。
幅の広い言葉の意味やいろいろな想像は聞いている人間の生活や文化を背景に
違っていて個々の人を浮き立たせる力があるようです。

今回のお話『かさこじぞう』は、とくに、昔のことば、方言のようなものがあって、今の子どもたち
には聞きなれないことばも多いのですが、今回はあえて、その注釈をいれないようにしました。
(最初の教材案では、ことばの意味の説明を並べていたのですが、それじゃあ、勉強勉強しすぎて、
物語を楽しむ余裕がないなぁと…) そのことについて、鈴木先生の今回のレジュメの中に
「語りでの単語の習得」という話がありました。(これは後日、鈴木研究室のホームページにアップ
したいなぁと思っています。)この話の中に、「かさこ」「もちこ」の例が載っていたのですが…

(ここからはわたしの連想。学習会とは関係ありません)
鈴木先生の説明では、この「…こ」は、愛称的な言い方であると。
「…こ」といえば、女の子の名前の「-子」。今時の女の子の名前としては流行らないようですが。
(わたしの「-美」も同じく…)
名前に「-子」をつけるのは、女の子限定(平安時代から明治時代くらいまでは身分の高い
女性の名前だったよう)ですね。

が、社会の時間に、初めて「小野妹子」「蘇我馬子」と出会ったときの衝撃
ええ~っ!男なのぉ~!!と。 昔々は、男女の区別なくつかわれていた字なんですね。
でも、よく考えてみれば、中国では「孔子」「孟子」「老子」など、男性に対する尊称として使われて
いる字でもありますね。

というわけで(むりやりといった感じですが)、今回の写真は、蘇我馬子の生きた飛鳥
(明日香村)の地。真っ赤な彼岸花がきれいな季節でした。一日、自転車で回った、わたしの
お鼻も真っ赤っか…
この春、合同研究会でお話をしてくださった岩崎京子先生の『かさこじぞう』の教材化について、
数教研の先生方と話し合いました。

数教研の読み方教材の設問は、問題集やテストのように、わかったかどうかを確認するとか、
そのことで子どもたちを選別するとか、そういう目的のためのものではありません。
主役はあくまでも、本文、物語。設問は脇役。設問は、文章を読んでいくための、物語の世界を
深く豊かにイメージするための手助け、手掛かりになるようなものだと考えています。

ただ、この設問作り、実際にやってみるとなかなか難しい。誘導尋問的になったり、理屈の
押し付け、解釈の決め付け、道徳教育のようになってしまったり。
とくに、今回、数教研の先生方と話し合ってみて、同じことばからも、そのイメージは人によって
さまざまなんだなぁということに改めて気づかされました。設問を作ったわたしとしては、わたし
自身のイメージの中で、そのイメージ化を助けるためには、どんな設問がいいのかなぁと考えて
いたのですが、思い込みはいけないですね。
もちろん、個々人が物語を読むときは、それぞれの自由なイメージの中で楽しむものであって、
人と違っていいのでしょうが、設問を作る人間が、ただ一つのイメージ、解釈で、突き進んでは
いけないのだと知らされました。設問を作るというのは、その作り手の考え、姿勢が見えてくる
ものなんですね。

でも、数教研の良いところは、一人ではないということ。数教研の先生方の経験や意見も
十分に反映されて、良いものを作っていける。顧問の鈴木康之先生も、「言語学研究の集団
主義」を掲げ、「ひとりで研究をやったって限度がある。ともかくみんなでもって言語学をやって
いこうという言語学研究の集団主義。」とおっしゃっている、それと同じだなぁと思いました。

ご参加くださった先生方の声(SNSエデュパラ内の日記にいただいた感想です)
ひとそれぞれの持っている背景やその時の心情で、受け取りかたや心象風景は
変わってくるのですね。文学作品のしたたかな(いい意味です)強さを感じました。
道徳的な教訓ではなく、文学の持つ日本語の力強さを感じられるような、そんな教材に
なるといいなぁと待っています。
幅の広い言葉の意味やいろいろな想像は聞いている人間の生活や文化を背景に
違っていて個々の人を浮き立たせる力があるようです。

今回のお話『かさこじぞう』は、とくに、昔のことば、方言のようなものがあって、今の子どもたち
には聞きなれないことばも多いのですが、今回はあえて、その注釈をいれないようにしました。
(最初の教材案では、ことばの意味の説明を並べていたのですが、それじゃあ、勉強勉強しすぎて、
物語を楽しむ余裕がないなぁと…) そのことについて、鈴木先生の今回のレジュメの中に
「語りでの単語の習得」という話がありました。(これは後日、鈴木研究室のホームページにアップ
したいなぁと思っています。)この話の中に、「かさこ」「もちこ」の例が載っていたのですが…

(ここからはわたしの連想。学習会とは関係ありません)
鈴木先生の説明では、この「…こ」は、愛称的な言い方であると。
「…こ」といえば、女の子の名前の「-子」。今時の女の子の名前としては流行らないようですが。
(わたしの「-美」も同じく…)
名前に「-子」をつけるのは、女の子限定(平安時代から明治時代くらいまでは身分の高い
女性の名前だったよう)ですね。

が、社会の時間に、初めて「小野妹子」「蘇我馬子」と出会ったときの衝撃
ええ~っ!男なのぉ~!!と。 昔々は、男女の区別なくつかわれていた字なんですね。
でも、よく考えてみれば、中国では「孔子」「孟子」「老子」など、男性に対する尊称として使われて
いる字でもありますね。

というわけで(むりやりといった感じですが)、今回の写真は、蘇我馬子の生きた飛鳥
(明日香村)の地。真っ赤な彼岸花がきれいな季節でした。一日、自転車で回った、わたしの
お鼻も真っ赤っか…
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